NATURE'S FEEDBACK


なぜ多くのトップスキーヤーが死に急ぐのか?

文 マット・ハンセン

原文:NATURE'S FEEDBACK

Intro

2012年3月7日、早朝。スティーブ・ロメオとクリス・オヌファーはワイオミング州グランド・ティトン国立公園内の凍りついたジャクソン湖を渡った。目的地は北ティトンにあるシュート。そこまでは、出発点のコルターベイの駐車場から湖をクライミングスキンで約5km渡り歩き、標高差1,200m以上を登りつめ、レンジャーピーク(約3,460m)の南東陵に上がる必要がある。二人は、その日の夕方にオヌファーの父を空港で拾うために、首尾よく夕食の時間までに戻る予定だった。

10年前、ワンデイツアーで厳冬期のレンジャーピークに行くスキーヤーはほとんどいなかった。長い行程と当時の貧弱なギアでは困難なルートだった。それが今日では、軽量ギアのおかげでスキーヤーは雪上をより速く移動できるようになった。また、天候や積雪の最新情報はオンラインで手軽に入手できる。レンジャーピークはぐっと身近になった。ロメオ(40歳、有名な山岳スキーのブログ[Tetton AT]の著者)とオヌファー(42歳、ジャクソンホール・リゾートのメンテナンス部長)の二人にとって、レンジャーピークはお気に入りの隠れ家のような場所だった。

ロメオはティトン山郡でもっとも経験豊かな山岳スキーヤーのひとりと知られ、彼のブログはワイオミング州のスティープスキーの分野での権威となっていた。温厚な性格のオヌファーは卓越した山岳スキルを身につけ、ティトンビレッジの消防隊の副隊長でもあり、救急救命士のトレーニングを積み、スキーのパートナーにはうってつけの人物だった。ロメオとオヌファーは二人でグランド・ティトンを含め、ティトン山郡中を滑りこんでいた。約一ヶ月後には、バフィン島へのスキー遠征を控えていた。

二人が出発した前日のティトンエリアは、強風と15cmほどの降雪があり、36cmの厚いウィンドスラブが形成されていた。当時の朝は少し曇っており、地元の雪崩予報官は、危険度を「モデレート(Moderate)」と評価していた。「なめらかな表面のサンクラストの上に新雪が積もっており、ヒューマントリガーで雪崩れやすい状態にある」とブリッガー・ティトン国立森林局雪崩センター(BTNF)は伝えている。BTNFによると、「モデレート」は、自然発生の雪崩は起こりにくいが、人間の刺激に起因する雪崩は起こりうる」と定義している。「ロウ(Low)」評価の一段階上になり、アメリカ国内の雪崩事故の4分の1以上が”モデレート”の評価時に発生している。ロメオとオヌファーは危険に敏感で、モデレート評価の状況下でも安全なルートで行動できるスキルをもっており、友人たちによれば、二人は危ないと感じたらちゅうちょなく引き返すマインドも身につけていた。

二人はレンジャーの南東斜面のクロワールを登っている最中、至福の時間を過ごしていたにちがいない。ピンクと紫に染まった冷たい色をしたワイオミングの朝日、精神的にも肉体的にもやりがいのあるクライミング、山奥の寂寥感、手つかずの大自然、パートナーとの絆、滑降への期待感。

だが、その晩オヌファーは空港に姿を見せなかった。父親は関係機関に捜索届けを出すと、間もなくオヌファーのピックアップトラックがコルターベイの駐車場で発見された。翌朝、国立公園局はレンジャー方面にヘリを飛ばし、レンジャーのボトムに広がる雪崩の残骸上でアバランチビーコンの信号を2つ受信した。スキントラックの跡らしきものが、標高3,140m付近で見つかった雪崩の破断面のすぐ下にあった。目的地までおよそ100mを残す地点で、二人は雪崩に巻き込まれたと思われる。標高差にして約900m流れた雪崩が二人の命を奪った。

[二人の死]の衝撃はスキーコミュニティを震撼させた。すでにこの冬、何人ものプロフェッショナルなスキーヤーが悲劇的な事故で亡くなっていた。11月、クリフジャンプの世界記録保持者で知られたジャミー・ピエールが、オープン前のスノーバードでのスノーボーディングの最中に雪崩に遭った事故に始まり、1月には皆に愛されたサラ・バークが、ハーフパイプのトレーニング中にイージーなトリックの着地に失敗して受傷した脳挫傷がもとで亡くなった。レンジャーで雪崩事故が起きる1ヶ月前には、ワシントン州スティーブンス・パスで、リフトでアクセスできる人気のバックカントリーエリアで3人が雪崩に襲われた。犠牲者にはスティーブンス・パスのマーケティング・ディレクター、フリースキーイング・ワールド・ツアーのヘッドジャッジ、二人の子供をもつ経験豊かなローカルのスキーヤーが含まれていた。ロメオとオヌファーの事故と同じく、著名なスキーヤーたちのあっけない死に誰もが動揺した。パイオニアあるいは業界内で影響力をもっていた彼らは、皆高い能力と長い経験をもっていた。だが、その生命はものの数分で奪われてしまった。一陣の風が木々の間を吹き抜けるように。

前年(2011/12)よりも、スキー業界は悪いトレンドの中に沈んでいた。多くの優秀なアスリートが亡くなり、葬儀の光景は珍しいものではなくなっていた。スコーバレー(カリフォルニア州)だけでも、過去3年間の間に8人のスキーヤーの葬儀が執り行われていた。山岳スポーツに献身的なコニュニティの住民たちは、喪失感をなんとか埋めようとしていた。毎年秋になると、本誌Powder Magazineをはじめとするスキー専門誌は、新たな死を悼む特集記事を組む。ディープパウダーやビッグエアに文字通り人生をかけたヒーローたちの短い人生を称える記事の一方で、怖いもの知らずの新人スキーヤーを賞賛する記事が載る。商業誌に存在するこのジレンマと戦いながら、編集者は必死に最適な構成バランスをとろうとする。

「90年代のフリースキーイングの勃興以来、スキーの進化(プログレッション)とは、エアの高さ、スピード、力強さを意味するようになった。大きなクリフジャンプ、スピンの回転数、ハーフパイプからのジャンプの高さ、あるいはビッグラインを猛スピードで滑り降る、こうした行為をプログレッションと呼ぶようになった。この傾向はこの先も続いていくが、限度というものがある。ある地点でしっぺ返しをくらうだろう。それは既視感とともにやってくる」と、20年近くにわたってスキーの最先端の現場にいるマイク・ダグラス(43歳)は言う。

山は危険で、スキーはリスクの高いスポーツである。この一般的な認識は昔からあり、特に限界に挑戦するスキーヤーにとっては、この先も変わらない。しかし、2011-12シーズンを振り返ってみたとき、こうした認識はすでに過去のものに思えてくる。繰り返されるスキーヤーの痛ましい事故の話題は、リフトでの会話からウェブでのチャットまであらゆるスキーコミュニティを駆け巡る。多くの人が疑問を抱き始めている。いつからスキーは気軽に楽しめるレベルではなくなってしまったのか。ビールを飲みながらその日のスリルや興奮を思い返すようなレジャーのひとつでしかない普通のスキーヤーにとっても、わずかなミスが命とりになるようなスポーツになってしまった。毎週のようにスキーヤーの重大事故のニュースを聞くような事態にある。

毎週とは比喩ではない。すでに現実となっている。

ロメオとオヌファーの事故の一週間後、次はアラスカで雪崩事故が起きた。ヘリスキーガイドのロブ・リバーマン(テリュライド出身でDPS Skisの営業マン)がクライアント一人と巨大な雪崩に巻き込まれ亡くなった。その一週間後には、ジャクソンホール・マウンテンリゾートのバックカントリーで起きた。サリー・フランクリン(24歳、将来を嘱望されたカッパーマウンテンの元パトローラー)が頭部損傷の重傷を負った。彼女はコディピークからのテクニカルなライン、通称「Once is Enough(一度で十分)」で滑落した。「Once is Enough」はかつてジャクソンホール・エアフォースの面子くらいしか滑らないようなハードコアな場所だった。それが現在では、上級者なら大丈夫だと考えられるまでハードルが下がった。サリーは命を取りとめた。その代償として、身体の基本動作を一から学び直す8ヶ月間のリハビリ生活を余儀なくされた。

数多くの死亡事故や重大事故をきっかけに、スキーヤーは従来のやり方を改め、ナイフエッジに立つような現状から一歩後退すべきだという意見が出始めている。ロメオがTeton ATで、たびたび引用していたお気に入りのマントラがある。「Live to Ski(汝、滑るために生きるべし)」。悲劇が繰り返される現在の状況では、「翌日も滑れる身であるように生きるべし」と改めた方が良いのかもしれない。

A Perfect Storm

1996年2月ジャクソンホールのローカル、ハンス・ジョンストーンとマーク・ニューコムは、グランド・ ティトン(標高4,199m)の威圧的なホサック−マックゴワン・クロワールの冬季初滑降に成功した。登行の半分はジルブレッタのアプローチ用スキーを使い、岩と氷に阻まれると、革製の登山靴に履き替えた。ジョンストーンのバックパックには、滑降用のフォルクルの205cmのスキーと重いプラスチック製アルペンブーツ、それにクライミングギア一式がくくりつけられていた。当時の山岳スキーの道具は貧弱で、頑丈なアルペンギアでないと無理だと考えた結果だった。

ギアの性能は当時とは比べ物にならないほど、滑降だけでなく登りにおいても、飛躍的に発展してきた。またジョンストーンとニューコムの時代は、天候と積雪のコンディションを見極めるには、現地に行かなくてならなかった。今日では、ウェブサイトにアクセスするだけで、天候、積雪、ルートさらには昨日の斜面状況を写真つきで手に入る。グランド・ティトンには毎年20〜30のトラックが入るまでになった。今でも、けっして安易なルートではなく、多くは春や夏が近い時期に滑られる。だが、現在の軽量ギアの登場によって、移動時間は短縮され、中にはスキーブーツで文字通り走るように登る者さえ現れた。

進歩はツアー道具だけではない。過去15年間にわたり、パフォーマンス向上を目指し、スキー板の幅は広くなった。ツインチップはスイッチランを可能にし、エッジの強度は2倍になり鉄製レールのスライドにも耐えられる。チップとテールの軽量化はスピンの高回転化を可能にした。ロッカーの登場でスキーのトップは新雪に潜らず、滑空するように滑れるようになった。ピローラインや絶壁に近いスパイン、壁の高さ約6.7mのハーフパイプ、飛距離30mにもなるギャップ、駐車場や公園にある構造物、嵐の直後のアバランチパスでの無謀なパウダーラン。10年前では滑走対象外だったものが、今や特別ではなくなった。Powder Magazineが主催したSuperparkのようなイベントは、Redbull ColdrushやLinecatcherへと大きく形を変え、ビッグマウンテンのコンテスト様式でフリースタイルのスキルを競うようになった。初期のX-Gamesでは、スキーのスーパーパイプは公式種目をめぐって争いが起きたが、2003年CR.ジョンソンとキャンディッド・トベックスの巨大な900によって終止符が打たれ、2014年ソチ五輪の公式種目にもなった。トリックのレベルは上がり続け、900のバリエーションを複数持っていないアスリートは、出場することすら不可能なレベルまでになっている。

リゾート、スキーブランド、本誌を含むメディアが喧伝するバックカントリースキーのクールなイメージに加え、ソーシャルメディアの影響力(過剰なシェア意識、自己プロモーション、人を出し抜くスキル)も無視できないものがある。フォロワーの関心をひくものを毎日アップできなければ、シーンから置いてきぼりにされる雰囲気すらある。デジタルメディアの勃興以前、新しいトリックやラインがシーンに登場するには、ムービーなり雑誌が発売されるまで6ヶ月の時間がかかった。今では、Teton ATやNewschoolersに代表されるウェブフォーラムが情報を盛んに発信する。また、かつては身近な友人を相手とした日々のやりとりや刺激は、Facebookの何百人の「友人」からもたらされるようになった。

多くの場合、スキーの急速な発展はプラスに評価できる。バックカントリースキーはつね非効率で苦労が多かった。新しいアバランチギアや詳細な雪崩予報のおかげで昔より安全に楽しめるようになった。多くのプロフェッショナルが亡くなる事実に関係なく、大多数のスキーヤーはバックカントリーで首尾よくキャリアを積んでいる。プロスキーヤーは一昔前ならとても考えられなかったハイレベルで、芸術的で、アスレチックなパフォーマンスをファンに披露することで生計を立てることが可能になった。次世代のスターがYouTubeから生まれることすらある。

あらゆるものがこの10−15年間を、スキー史上で最も変化に富む時代に押し上げた。このような急激な発展は、50-60年代メタルとファイバーグラス製スキーの導入により、Jean Vuarnet, Sylvain Saudan, Wayne Wong, Bill Briggsらが頭角を現した時代以降なかったことだ。山のさらに奥深くへ入り、パイプからより高く飛び、常人が考えうるところよりもさらに先に進んだ現在、スキーは絶頂期を迎えているように見える。だが、実際はスローダウンするどころか加速している。

「90年代を振り返って考えてみると、激しい降雪があった翌日にヘリスキーなんて、あり得なかった。積雪が落ち着くまでジャンプセッションで時間を過ごしたものだ。今はのんびりなどしていられない。嵐が止むと、物事は分刻みで進む。スキーに限ったことではないが、社会全体がそうなってきている。あらゆることが急き立てられる。危ういバランスのサイクルの中に僕らはいる」とマイク・ダグラスは言う。

ダグラスの言うサイクルはスキーのあらゆる領域で猛威をふるう嵐となった。その結果が、多くの著名スキーヤーたちが自らの命でミスを贖う現状である。

原因は道具にあると言うことはできよう。同じくインターネットやスキームービー、雑誌にも原因がある。スポンサーやコンテストにも。個人的な動機にもある。あるいは気候変動にも。気候変動は、経験豊かな予報官でさえ手をこまねく不規則な気候パターンや積雪分析をもたらす。そもそも亡くなったスキーヤーのリストは比較のうえで参考にならないと言える。シェーン・マッコンキーはスキーベースジャンプで、CR.ジョンソンはスキー場の馴染みのラインで、サラ・バークはイージーなトリックの失敗で、直接の死亡原因はそれぞれ異なる。現実は、スキーのジャンルに関係なく、スキーのレベルが高くなりすぎ、死亡リスクが増大したことを物語る。些細なミス、ちょっとした不運、自然の気まぐれが死亡事故につながってしまう。

上記のリストには有名ローカルスキーヤーは含まれていない。例えば、ジャクソンホールの”Everyday” Wray Landon、スコーバレーのAllison Kreutzen、ウィスラーのDuncan Mackenzie, スティーブンスパスのJohnny Brenan、あるいは2011年カナダBC州ネルソンで、レールスライド中に転倒して頭部をぶつけ、アーバンスキーでの初の死者となった20歳のWill Schoolerらである。また、職業上大きなリスクを承知できわどいラインを選択するプロスキーヤーが負った大怪我もリストには含まれていない。

2011年春にイアン・マッキントッシュが負った怪我がその代表例である。アグレッシブなスタイルで知られるマッキントッシュは、フットボールのディフェンスの選手のような体格で、近年のビッグマウンテンスキーを代表するスキーヤーである。彼が好きな滑降スタイルは、垂直に近い斜面を真っ直ぐにおちていくもので、多くの場合、大きなクリフが行く手を阻んでいる。その春、マッキントッシュはキャリアの中でも最高のフィルミングセッションをアラスカで過ごしており、大きな成果をいくつかフィルムに収めていた。怪我を負った斜面は、岩と氷が点在するスパインで、マッキントッシュは滑降途中でラインの入口を見誤り、突入してしまった。岩と氷にエッジを弾かれ、コントロールを失い、激しく転げ落ちた結果、大腿骨を骨折した。救急搬送を含め全ての出来事はTGRの「ONE FOR THE ROAD」に収められている。怪我の原因は、滑走ラインの下見をしっかりしなかったことにあると、マッキントッシュは言う。紙一重で命を失っていたかもしれないミスだった。

大怪我を負った後でもマッキントッシュは、プロフェッショナルである限り、大きなリスクを背負うことは必然だと考える。「名誉や金銭ではなく、スリルがあるからだ。チャンスがあれば、次は上手く滑りきってみせる。ラインをもっと注意深く観察すれば大丈夫だ」とマッキントッシュは言う。

「この状況から前進しつづけることで、みんなが真剣に考えるようになってほしい。愛する人やヒーローたちが落とした命の数の多さについて。賢い決断の方法について」とマッキントッシュは言う。続けて「だが肝心なのは、現在直面しているリスクへの認識だ。どこまでのリスクを許容するか。それは個人の考え方によって異なる。とはいえ、スキーヤーである限り、ある程度のリスクを許容する素地はある。なぜなら、自己の限界を押し上げることや自分の意思で滑ることに、スキーの本質的な楽しみがあるからだ。だが本音を言えば、山に向かう時はいつでも、その日が人生最後の日になるかもしれない、そこまでの覚悟を受け入れるべきだと思う」。

両親や配偶者、友人たちは憤慨するにしても、マッキントッシュの考え方はけっして珍しいものではない。プロスキーヤーたちは、自分たちが何と対峙しているかよく分かっている。リスクを綿密に計算し、命をかけてまで滑る価値はないと、彼らは言う。スキーが自らの存在理由を与えてくれるから滑るのであり、カメラがあろうとなかろうと、自分のために滑るのだと。

この考えは、ジョンストンの山岳スキーキャリアを説明するのにぴったり合う。優しい口調の持ち主で、カメラを向けられるとはにかむ宿の主人でExumガイドの51歳のジョンストンは、グランド・ティトンのあらゆるルートを滑った唯一の人物である。今年の5月にはジャクソンローカルの友人クリスチャン・ベックウィズをパートナーに、非常にきわどいラインのオッターボディ・クロワールを滑降している。その日のメインギアは、スカルパのATブーツ・マエストロ、ブラックダイヤモンドの軽量ツアースキー、ダイナフィットのテックビンディングで、過去のニューコムとの山行と比べて圧倒的に軽量だった。ベックウィズは自分のウェブサイト「Outerlocal」にその時の滑降の思い出をこう書いている。「ジョンストンが冷静にニンジャのように滑るそばで、自分は怖くてたまらなかった」

ベックウィズがオッターボディ滑降の歴史的価値を褒め称える一方、ジョンストンは命をかけるほどの価値はないときっぱり言う。20年に渡り辛抱強くルートを観察し、全てのコンディションが整った時だけを狙い、決して無茶をしない。その日二人は核心部に達すると、ひとつ間違えれば死に直結するセクションをロープで懸垂下降した。「予防的な安全措置をとらなかったばかりに山で死んでしまった例を十分すぎるほど見てきた。自分の手に負えない領域というのは、常に存在する」とジョンストンは言う。

「何人もの親しい山岳スキーヤーの友人を亡くした。昔の困難なスキーツアーをいくつか思い出してみると、ロープはあまり使わなかった。ロープがなくても上手くやれそうだったし、必要性など考えてなかった。キャリアを重ねた今は、ロープを使うことにちゅうちょはない。年をとったことや3人の子の父親であることも大きいだろう。この先も山岳スキーを続けたいと思う一方で、友人たちが山で逝く悲劇を見てきた現実が目の前で立ちはだかる。山で死ぬことは、とうてい受け入れ難い不幸だ」

Longevity in Mind

2012年冬、NBC Newsは「デスゾーン」というタイトルで9分間の特集を放映した。現在多発するハイレベルなスキーシーンで起きた死亡事故を検証する番組だった。出演者の一人、心理学を専門とする医師ロブ・ガフニー(『Squallywood:スコーのきわどい滑降ラインガイド集』の著者、『G.N.A.R The Movie(ポールを打ち鳴らせ)』の監督)は、ある重要な意見を述べた。90年代後半のスキーフィルムで活躍した経歴と近年親しい友人を何人も亡くした経験をもつ立場からの発言だから重要なのではない。誰も声を上げてこなかった疑問(少なくとも公の場では)を投げかけたことに意味があった。マッコンキーの死には、スポンサーのレッドブルにも部分的に責任があるのではないかと意見した。NBCは番組を感傷的にまとめ、ガフニーが近年のスキー界の悲劇すべてをスポンサーのせいにしているように視聴者を印象づけた。

放映から1,2日後、ロメオはTeton ATにNBC Newsのビデオをアップし、次のようにコメントした。「マスメディアがこぞってスキーを取り上げる状況は実にワイルドだね。(なんというかクールな感じもする)とはいえ、スキーに内在するリスクを多くの視聴者が理解するために、多くの偉大なスキーヤーたちの死が題材になるのは不幸ことだよ。残念なことだけど、ロブ・ガフニーは番組の中で語ったことの多くは真実だと思う。俺たちみんなが、次の10年もサバイバルできることを心から願っている。LIVE TO SKI!!!」

このブログ記事のコメント欄には、ランディ・マーシュと名乗る人物からのコメントが残っている。「全くよく言うぜ。お前の意見には、賛同できない。ロブ・ガフニーにしても、あれは裏切り者の物言いだぜ。昔からよく知っているが、もう尊敬なんてできないな。ずっと前から、たくさんの凄い奴らが死んだり、死に損なっている。今に始まったことじゃない。スキーヤー、クライマー、船乗り、サーファー、兵士、みんな同じさ。変わったのは、大衆のスキーヤーに対する認識と死に急ぐ奴らの数の多さだ。あの番組が伝えなかったのは、亡くなった奴らの多くは、カメラや名誉とは関係なく、情熱的に生きたという事実じゃないのか。個人的な快楽、進化や責任といったものは、ニュースデスクの連中には理解不能なのさ」

ガフニーの考えではスポンサーシップは、リスクテイキングに関する高度で複雑な問題の一因子に過ぎない。主要な部分は、全てのスキーヤーのレベルを押し上げてきた一連の文化的なシフトチェンジにある。この変化によって、トップスキーヤーはエッジのさらに際に立たされている。多くのスキーヤーが今より大きなリスクをとるようになれば、その結果、ガフニーの言うところの”自然からのフィードバック”は増大する。本質的に、我々の行為にはそうした結果が待っている。

「エラーのマージンは大きく低下し、自然からのフィードバックはかつてないほどの勢いで大きくなっている。今の状況は予想していたことではあるが、一体いつやってくるのか予測できなかった。今にして思えば、シェーンの死が始まりの合図だった。その後、たくさんのスキーヤーがあまりにも早く逝く光景を見て、なんとか現実的なアクションを起こさなければと考えるようになった」とガフニーは力を込めて語った。

現在のトレンドを良い方向へ変えるべく、ガフニーは2012年秋、Sportgevityというサイトを立ち上げた。アスリート的な進歩だけでなく、長いキャリアを築くことを呼びかける。キャリアを長いスパンで考えられるように現在のペースを緩めることが最終的な目標である。現役のトップアスリートたちよりも、憧れのスキーヤーが次々に死んでゆく悲惨な現状の中で育った若い世代に、ガフニーは期待を寄せている。

成功したスキーキャリアとは悲劇で幕を閉じないこと、これが最も基本的な考えだとガフニーは言う。「数年単位ではなく、十年単位でキャリアを振り返り、自分の判断でキャリアに終止符を打つことが望ましい。究極的には、憧れのスキーヤーたちが亡くなった原因や理由と真摯に向きあうことを意味する。故人の業績や活躍を貶めたり、過小評価しなくてもよい。だが、彼らが犯したミスは検証しなければならない。スキー業界で長いキャリアを築きたいなら、亡くなってしまったスキーヤーとは異なる方法が必要となる。尊敬の念とは別に、彼らの業績をそのままサクセスと定義する必要性はない。80歳を越えてもスキーを続けたいなら、なおさらだ」

続いてガフニーは、自身が考える成功したスキーヤーの名を挙げる。「マイク・ダグラス、ウェイ・ウォン、ビリー・キッド、クラウス・オバーメイヤー、クリス・ダベンポート、グレン・プレイクたちが見本となる。彼らは皆、現役で滑りながらも、このスポーツに影響を与え続けている」

「アスリートとしての十数年のキャリアの経験の中にこそ、美しい真実がある。寿命を全うするまで滑り続けられれば、あらゆるスキーの軌跡を目撃できるだろう。かけがえのない経験となる。この先待ち受ける未知の経験を自ら断ち切ること、あるいは自分が下した判断や、アバランチパスへ死の行進をするグループにNOと言う能力の欠如こそが真の悲劇じゃないだろうか」

マイク・ダグラスにとって、ガフニーのメッセージの重要性は、プッシュするタイミングを忍耐と理性で判断することに集約される。「コンディションが整い、あらゆる要素がそろったと思うまでじっと待つことにしている。近頃では、突撃スタイルが流行ってる。そういったチャレンジ精神は良いことだと思う。だけど、毎日フィールドで実際にプッシュするだけじゃなく、たまには一歩退いてみることも大事だと思う。あらゆる物事を即時的に欲して、すぐに飽きる。その繰り返しが見られる。パウダーランへの渇望は未だ衰えていない。けれども、たまにはパウダーを諦める日もある。それが長いキャリアを築くための秘訣だ」

ダグラスの考えを少し拡大解釈したような現象はすでに現実となっている。フリースタイルの世界トップランカーの女性スキーヤー、カヤ・タースキーは2012年春、スロープスタイル競技について「女性アスリートは男性と同じコース、同じトリックで戦うべきではない」と自分のブログで主張した。カヤは女性スキーヤーのレベルを今以上に上げるためには怪我のリスクが低い、小さめのジャンプ台で競うことを提案する。「個人的な感覚だけど、大きなジャンプ台はプレッシャーが大きいのよ。飛距離の微調整が難しくて、難易度の高いトリックをする自信がなくなるの。転倒したときの衝撃を考えるとなおさらだわ。25m位の大きなテーブルで360か540を必死に回る姿よりも、15m位の小さな台で完成度の高いコーク900の方が、見ている側からも素敵だわ」

変化のペースが緩めば、賞賛はクレイジーなスキーヤーではなく、クリエイティブなスキーヤーに贈られるはずだ。期待の新人ショーン・ジョーダン(19歳)は、Stept Productions filmsの過去3作に出演し、同世代の中で最も才能あるパーク&アーバンスキーヤーのひとりとして認められている。その年の一番デカいジャンプやヤバいシーンはSteptから生まれると多くの若者が考えているようなプロダクションである。ビッグマウンテン同様パークやアーバンの分野でも、トップレベルの作品をつくるには大きなリスクがともなう。建物の3階からコンクリート壁に当て込んだり、湾曲した鉄製レールをスライドし凍りついた階段にランディングといった具合に、いくつもの要素が組み合わさっている。転倒してアスファルトに叩きつけられることを考えるだけでも恐ろしい環境のなか、前作よりも一歩上のレベルを目指すグループ心理とパイオニア精神の自負がリスクを押し上げる。

だがジョーダンが考えるアーバンスキーの未来は、命がけで大きな構造物をヒットすることではない。「デカいレールを狙っている連中はどこにでもいる。でも小さなものでも誰も目にしたことのない何か新しいものを生み出せば、最大級のリスペクトが得られる」

ジョーダンはSportgevityを運営するガフニーと会ったことはないが、言葉は同じアイディアを共有している。

「できる限りぶっ飛んだスキーをフィルムの世界で見せたい。他人に負けたくもない。それでいて、ずっとスキーを続けたい。たしかに状況は悪化している。それでも僕らはこのスポーツを前進させ、大きなことが達成できると絶対に思っている。病院送りにならずね。スキーで人生を楽しみたいなら、当然の考え方さ」

Past And Future Partners

1992年秋、リード・フィンレイはノース・カロライナ州からジャクソンホールに移り住み、リフト係の仕事に就いた。1年後、同じワークシフトにコネチカット州バーノン出身の新人が入ってきた。スティーブ・ロメオだった。間もなく二人は意気投合し、ティトンの山々を滑り始めた。何年も一緒に滑り、兄弟のような仲になった。二人で困難なルートの滑降をいくつも成し遂げた。

ロメオはリゾートスキーヤーから同世代の中で最も優れた山岳スキーヤーの一人まで成長するなかで、危険な目にもあってきた。生前付き合っていたガールフレンドの証言によると、少なくとも3回雪崩で危うく命を失いかけた(1回は亡くなる前年の出来事だった)。雪崩に巻き込まれたとき、それまで感じたことのないレベルの恐怖におそわれた、と彼女と正面から話し合った。その時でさえ、自信は揺らがなかった。何か悪いサインがあれば引き返す。7回目の挑戦で初めて成功したグランド・ティトンの滑降を引き合い出して、ロメオは彼女に言い聞かせた。献身、鍛錬、技術といったものが輝かしい滑降歴をロメオにもたらし、誇り高きスキーヤーに育てあげていた。

2012年3月1日、ロメオはジャクソンの聖ジョンズ・メディカルセンターを訪れ、フィンレイを見舞った。前日、フィンレイの妻が男児を出産し、子を持つ身となった二人と新しい生命についてロメオは夢中でしゃべった。誕生したばかりの赤ん坊と対面するとはしゃぎたて、早速スキーヤーに育てると軽口をたたいた。「ロメオはスキーポールに見立てた自分の指を赤ん坊につかませると、スキーの英才教育だと冗談を言ったんだ」とフィンレイは思い出すように語った。

6日後、ロメオとオヌファーは凍ったジャクソン湖を渡った。その先に待ち受ける運命を知ることもなく。フィンレイは仕事と父親になったばかりで忙しく、パーティに加わることができなかった。ジャクソンホール・マウンテンリゾート所属のパトローラーのフィンレイは、前日に強風が高い場所でうずまくように吹いていたことが気になっていた。山麓からは分からないような類の吹き方だった。フィンレイが驚いたのは強風のことでなく、二人が登りに選んだルートだった。雪崩が起きたら避けられない場所だった。

ジャクソンホール・ニュース・アンド・ガイドの紙面に事故を伝える記事がのった。あるパークレンジャーはロメオとオヌファーの当日の意思決定に疑問を投げかけ、無謀な行動の結果だと暗に意味した。二人がもしエアバッグを装着していたら助かっていたか、と問われたレンジャーは次のように返した。「二人はエアバッグに勝る道具を持っていたのに、有効に使うことができなかった。何かって?頭を使って滑ることだ」

故人の友人や家族にとって、心をえぐる痛烈なコメントだった。だがフィンレイは、ロメオもレンジャーの言葉に同意しただろうと言った。「これが見知らぬ他人が死んだニュース記事だったら、ロメオと俺は書かれた内容に賛同していたに違いない。きっと急いでいたんだろうと二人で結論づけたと思う。ロメオたちは正しい判断をできる。でも彼らは時間に追われていた。登行中も実際に雪崩が起きるまで何事も起きなかった。クリスの父親を空港に迎えに行く約束もあった。こういった要素が警戒のガードを下げたのではないだろうか」

それからフィンレイは考えをまとめるために一息つき、こう言った。「エキスパートでさえミスを犯す。子どもたちにとって、ロメオの事故は良い教訓になる」