SPACEWALK


虚空を舞うスティープスキーヤー、アンドレアス・フランソンの知られざる心の裡

文 ハンス・ルドウィッグ

原文:SPACEWALK

アルゼンチン・パタゴニア地方エル・シャルタンのホステルに滞在するアンドレアス・フランソンと直通電話で話したのは、彼の人生でおそらく最も困難なターンを要求された滑降から戻ったところだった。「限界ぎりぎりだった。恐ろしく急な斜面がずっと続くルートで、標高差250mを滑りきるためにあらゆるラインの取捨選択を強いられた」

フランソンが挑んだラインとは、セロ・ポインセノットの通称ウィランズ・ ランプ。難易度では2012年のナンバーワンに値するだろう。斬新なアイディアなくしては不可能な滑降で、山頂直下の雪原が細長くフォールラインを横切るかたちで針のように伸びており、一つのミスで即刻地獄行きとなる。岩肌が露出した花崗岩の尖塔の背景と心臓が止まりそうな高度感の演出によって、望遠レンズで撮ったものではこれまで見たことがないようなスペクタクルな映像になっている。ヨセミテのエル・キャピタンの壁を途中まで貫く尾根を滑るスキーヤーを見るような心持ちである。

こうした現実離れした映像を見ると誰もが不思議に思う。なぜひとは最果ての地でこんな危険な行為をするのか。当のフランソンも自問する。スキーヤーは難関なラインを滑りきるために利口になろうとする。リスクとハザードとその結果がもたらすものをはっきり認識する賢さである。フランソンの場合は少し違う。彼のスティープラインへのモチベーションは成長、探究、超越的体験などの個人的なものにもとづいており、滑降がもたらす意味について絶えず自問自答する。[ブログ]には、これまで山で辿った人生の道のりを理解しようとする長く思慮深い言葉が多く綴られている。

この世界には偉大な山岳スキーヤーとビッグマウンテンスキーヤーが存在する。だが両者(例えばピエール・タディヴェルとセス・モリソン)がひとりの人間のなかに存在することはない。とはいえ可能性がないわけではなく、まさしくフランソンはその領域に近づいている。近年フランソンが3つの大陸に刻んだ軌跡が証明する。そのコレクションは辺境の山での超絶極まる初滑降からシャモニーの超急斜面マイナールートのトレースまで比類ない。

30歳のフランソンは思想家、哲学者、実存主義者である。その思想は成功や栄光あるいは過激なものとは無縁で、何かに没頭しているときに立ち現れるパラドックスに根ざしている。フランソンの考えでは、未滑降に終わった一本が一番誇らしいものになる。ドロップインするよりも引き返す決断の方が難しいからである。彼の思慮深さだけでなく、撤退はこのゲームでは失敗ではなく義務とみなす実務能力の高さが読みとれる。フランソン流の見積もりによれば「初滑降の成功率が25%くらいなら、撤退の確率は50ー60%」となる。計算ミスによる惨事を考えると、この数値はメーカーがあおる「Just Doing It」的なやり方からはほど遠い。

フランソンの華々しい滑降はフィルムメーカーのビャーネ・サアレンや写真家のテロ・レポらによって次々に発表されると、世の中の注目を集めるようになった。オークレーとサロモンがスポンサーにつき、フィルムメーカーのマイク・ダグラスは(フランソンのブログの映像化ともいえる)ウェブムービー『Tempting Fear』のプロデュースを企画した。撮影のためにダグラスは11ー12シーズンをフランソンと多くの時間を過ごしたが、作品内で使うスペクタクルな映像素材には困らなかった。例えばデナリ滑降のPOVやザビエル・デ・ラ・ルー(地上最強のスノーボーダー)をパートナーにして滑った死の淵が覗くシャモニーの[ヘリショット]などである。しかしこの作品において特筆すべきものは、これらの映像の背後にある感情や思考のプロセスにある。悪く言えば自己陶酔に見えるかもしれないが、著名なアスリートやメジャーなスポーツがメディアで繰り広げる"果敢な挑戦"が”勝利”に結びつく安易な物語で脚色されたものよりも断然おもしろい。

ありふれたドキュメンタリーを作る気などさらさらないダグラスは、フランソンをこう評する。「メディアに頻繁に登場する多くのアスリートとは対極にいる。本格的にスティープスキーを始めた最初の2シーズンは、その成果を人に話したり撮った写真を見せたりしなかったそうだ。情熱のために滑ることの尊さを確認したかったからだと思う」。制作者としてダグラスはフランソンの人生と思想の跡を辿ることを試みる。議論を起こしたいと考えるからである。「フランソンのスキーは誰も滑ったことがない場所に身をさらす。そこで見た世界、私たちには未知の世界を垣間見せてくれる。彼にしかできないことだ」

世界トップレベルの山岳スキーヤーの座に登りつめる前のフランソンは、母国スウェーデンでフリースキーの選手やデモチームレベルのインストラクターをしていた(いつの時代のアクションスポーツ界のトップには生え際が後退し、ウィリアム・ブレイクの引用を好むスウェーデンのスキーインストラクター出身の男がいる)。本誌Powderのシニアフォトグラファーのマティアス・フレドリクソンの被写体として何度か誌面を飾ったこともある。そんなフランソンにスキー界の注目が集まったのは、数年前ヨーロッパ・アルプスが豪雪にみわまれ、急峻なクラシックルートの状態が整った時期のことである。フランス・シャモニーに集まる頭のネジが外れたスキーヤーがメジャーなルートにドロップする中、フランソンは別次元のラインにターンを刻んだ。過去10年で2、3回位しか例がないような滑降であり、それらは歴代の名スティープスキーヤーたちによって完璧なコンディションの元で達成されたモンスター級のラインである。

フランソンは次々に獲物を落とした。その間、圧雪バーンを飛ばしたり、パウダーで舞うこともある(「パーク、パウダー、コブ、レーシングなどジャンルに関係なく滑ることは好きだ」とフランソンは言う)。同時に、モンブランの東面パン・デュ・シュクール(Pan du Sucre)やグロテスクな面構えのエイギュ・デュ・プラン(Aiguille du Plan)で宙を舞いながらエッジの痕跡を残した。これらの滑降は卓越したスキーヤーにとって一生涯級のものであり、フランソンのように次から次に手中にすることは、並外れたスキーヤーの神経でも耐えられるものではない。

挫折は2010年シャモニーで訪れた。2、3の滑降記録しかないエギュ・ベール(Aiguille Verte)のYクロアールの中間部を懸垂下降中のフランソンを雪崩が襲った。頚椎と股関節、肋骨を折ったうえ、パートナーであるトップレベルの登山家コリン・ヘイリーを失った。潮時だった。

それから1年後、怪我から快復したフランソンは熟考を重ねた末、途方もなく広く危険極まるデナリの[サウス・フェイス初滑降]に挑戦する。懸垂下降を多用し、まともに滑ることは許されなかったが、ソロで24時間以上かけて成し遂げた。そのシーズンの山岳界で最も脚光を浴びた出来事のひとつに数えられる。これに匹敵するのはドイツのルイス・スティツジンガーによるヒマラヤ8000m級のピーク、ナンガ・パルバートの未踏壁ディアミール・フェイスの滑降くらいである。

続いて地元のシャモニーやペルーの高山、パタゴニア・フィッツロイの巨大な岩峰で撮影を敢行するなど実り多いシーズンとなった。だが、フランソン個人はパウダーに覆われたクロアールを滑ったノルウェーの[リンゲン・アルプス]への旅がベストだったという。『Tempting Fear』にも収められたそのフッテージはTGRやMSPの名だたるスキーヤーがアラスカで撮影したものと比べても遜色ない。

撮影や遠征の費用のやり繰りはスポンサーのおかげで楽になることは間違いない。そこで疑問が芽生える。増えた予算を使ってフランソンは何に挑戦するのか? たった今、受話器の向こうのパタゴニアのホステルで腰をおろすフランソンは次の滑降プランを考えている。スティープスキーヤーの道とは違う人生、成功の影に潜む危険、そして虚空に舞うスペースウォークの次の舞台に思いをはせながら。