TEN MORE YEARS


35歳にして今まで以上に存在感を増すJ.P. オークレア

文 マイク・ロッゲ

原文:TEN MORE YEARS

自家製オートミールが入ったボウルとフレンチプレスで淹れたコーヒーを前にして、J.P. オークレアは一枚の古い写真の記憶を掘り起こしている。スイス・チューリッヒの2月のどんよりした空の下、35才になったオークレアは今日に至るまでの道のりをたどるように遠い過去を遡る。

2011年、カナダ人のオークレアはガールフレンドの転職をきっかけにケベックからチューリッヒに引っ越すことになった。フランス・シャモニーは4時間のドライブで気軽に行ける距離にあり、拠点を移すことは難しい決断ではなかった。二人が住むワンベッドルームのマンションは、この15年で最も影響力を持つスキーヤーのひとりに入る人物の住居にふさわしくは見えない。木の床が張られたつつましいが居心地の良い住まいは、小さな台所とオークレアの事務所を兼ねるリビングルームがあるだけである。壁にはいろんな種類のアート作品が掛かっている。その中には、親友で元プロスキーヤーのアンソニー・ボロノウスキーが描いた抽象画も数点飾られていた。スキー道具は地下室の物置に収納されている。ここには全てのものが意味のあるかたちで置かれてある。たとえば、「考えごとがたくさんあるとき、考えをまとめるには最適の場所」だというシャワールームには、スキューバダイビング用のノートパッドが備えられている。ただし、華麗なスキーキャリアを物語る品はどこにもない。本棚に貼られた5枚の写真のうち3枚だけがオークレアの息の長いスキー人生の一端を見せてくれる。

その中の1枚、2001年ジュリアン・レニエと参加したPoor Boys Productionsの『Propaganda』の撮影の直後に撮られた写真を眺めていると、オークレアがある思い出を話してくれた。当時ヨーロッパで撮影していたオークレアの元に予期せぬ電話がかかってきたという。

がなり立てる相手はオークレアに聞いた。「お前、今どこだ?」。続いて、もの言わせぬ口調で言い放つ。「これからそっちに行く。いい経験をさせてやる」。それからいくつか言葉を交わすとオークレアは電話を切り、レニエの方を見て、Poor Boysの撮影から抜け出す話を切りだした。声の主はグレン・プレイクだった。

二人はハイウェイでプレイクと落ち会い、気ままなバックカントリーの旅へとイタリアに向かった。山の中の小さな避難小屋に泊まりながら、10日間にわたって歩いて滑った。ひとりとしてフォトグラファーもフィルマーも同行せず、邪魔をするものは何ひとつない。ただひたすら自由に滑る日々だった。

「自分のキャリアを語る上で絶対に外せない。なにせハイシーズンのど真ん中の10日間を自分だけの時間を滑るために使ったんだから。今考えると正気じゃなかった」と思い出すようにオークレアは話した。「自分の足だけを頼りにあんな山奥で滑ったり地形の大きさに圧倒されたのは初めての経験だった」。この忘れがたい思い出は、それから10年もの間心の中で静かに燃え続けた。

J.P. オークレアはスキーの世界にルネサンスをもたらした。 ケベックシティでモーグル選手として育ち、ニュー・カナディアン・エア・フォースの一員としてテラインパークで革命を起こすと、次は画期的なアーバンスキーを生みだし、そしてアラスカ・ビッグマウンテンの世界に足を踏み入れた。その間、カメラやコンピュータ画面の前で膨大な時間を過ごして数々の名シーンを世に送り出した。そのうえ、アルマダスキー(デザイン開発をレニエと手がけた人気モデルJJを擁する)とAlpine Initiatives(人道的な活動を目的とする非営利組織)の共同創設者の顔を持つ。2011年にはSherpas Cinemasがリリースした『All. I. Can.』で縦横無尽にストリートを滑る映像でアーバンスキーのジャンルを再定義すると、インターネットで大反響を呼ぶ。Vimemoだけでも140万回再生され、「Good Morning America 」でも取り上げられるなど、キャリアに新たな勲章が加わった。

多岐に渡る活動に多様なスキージャンルでの業績、それに出演したフィルムセグメント。これら長大な履歴を書き連ねても、オークレアという人物像は明確に浮かび上がらない。むしろ、個々の経歴は類稀なスキー人生の様々な局面におけるアプローチの賜物といえる。忍耐・集中力・共感そして敬意をもったアプローチにオークレアという人物がよく現れている。加えて、驚くほど謙虚な姿勢。仲間たちが次々とスキー業界から姿を消す中、オークレアは時間に追い立てられることなく、その存在感は増す一方である。

オークレアがこれほどまで現役で影響力を持ち続ける理由として、彼を知る仲間や業界のベテランたちはオークレアの性格をあげる。揺るぎない職業倫理、細部への入念な気配り、オリジナルなものの見方。ガールフレンドのイングリッドに言わせると単に頑固だという。「ときどきこっちがイライラするほどよ。でも、そのおかげで一歩前進できるの。情熱もそう。彼を愛する理由でもあるわ」

グレイシャー・エクスプレス列車に乗ってチューリッヒを発ち、オークレアとラークススキー場へ向かうことになった。天気はすぐれないが、向こうに行けばなにか楽しめるだろうと。車窓の風景がスライドショーのように矢継ぎ早に変わる。それには目をくれずオークレアは一冊のガイドブックに没頭している。ライオネル・タッサンとピエール・タディヴェルの『Mont Blanc』である。数ページめくりながら、際どいスパインがいくつも連なるルートの数々を見せてくれた。セス・モリソンとネイサン・ウォラスと共演した2011年製作のドキュメンタリー『The Ordinary Skier』に登場したルートもあった。この作品が触媒となった。10年前プレイクが教えてくれた山岳スキーの世界へ飛び込むことになったのである(取材期間中オークレアは何度もこの時の撮影のことを”千載一遇のチャンス”と言っていた)。

「あのテンポが好きなんだ」と本から顔を上げたオークレアは言った。「基本的には一歩一歩の積み重ねがスキーアプローチ全体につながっていく。ゆっくり時間をかけて手順を踏む。それが心地良い」

列車はトンネルに入った。窓の外に暗闇が広がり、山の懐にいることを感じる。話題は世界で最も名高い展望台シャモニーのエギーユ・デュ・ミディに移った。「初めてロープウェイに乗ったとき、乗客の一人がノース・フェイスにあるトラックを見つけて指を差したんだ」とオークレアはそのときの光景を思い浮かべるように言った。「てっきり動物の足跡かと思ったよ」。目の前にはフリースタイルのヒーローから本物の山岳スキーヤーに変貌したオークレアが座っている。好奇心に駆られ、変貌の秘訣のようなものを聞いてみた。

「ウィスラーでキッカーをつくることと変わらないと思う。ウィスラーでもシャモニーでも真剣さのレベルは同じだから。それが重要かな。取り組む対象の違いだけじゃないだろうか」

それから24時間あまり後、山岳スキー談義で盛り上がったオークレアはコンクリート製の構造物に同じケベック出身の[フィル・カサボン]と並んで立っている。二人でトランスファーアイテムを作り終えたところだった。遠くで発破の音が鳴り響く。山をクローズに追い込んだ不安定な積雪を落とす無慈悲な音だ。オークレアはトランスファーへ飛び出し、270テールグラブを試みた。グラブに満足できず、登り返す。22歳のカサボンがありえない高さのエアからスイッチでアイテムをヒットすると、オークレアは歓声をあげた。この場を楽しみ、同郷の年下スキーヤーとアーバンフューチャーのセッションをこなす。山が準備を整える時を待ちのぞみながら。

「オークレアはケベックが生んだ最高傑作さ。本当にすごいオールラウンドなスキーヤーだよ」とカサボンはオークレアがドロップする間に穏やかな声音で話した。ティーンエイジャーはカサボンこそケベックが輩出した最高のスキーヤーだと考えているだろうねと応じると、かぶりを振って言った。「10年後にその言葉をぜひ聞きたいね」。オークレアは最後のジャンプにむかっている。スケーティングでスピードをつけ跳躍する。スピンしてグラブをいれる。思い描いたかたちできまった。