TUNNEL VISION


エキスパートスキーヤーたちの命を奪ったヒューマンエラー

文: メーガン・マイケルソン

原文:TUNNEL VISION

1

音もなく雪が流れた。木々が折れる音も聞こえない。先に7人が滑り降りていたが、叫び声ひとつ上がらない。ワシントン州[スティーブンスパス・スキー場]の裏側にある斜度42度のノートラックの新雪斜面で、その雪崩は起きた。友人のジム・ジャック(46才)がドロップインし、ノールの先に消えていく後姿を見ていたときだった。深さ60cm、幅9mのクラックが窪んだ雪面に走り、ブロック状の塊に割れ、ゆっくり転がり始めた。私が立っている場所からは見えない先の斜面で再び破断し、周囲の雪を飲み込みながらスピードを増していく。その先には、長さ300m以上ある急峻なシュートがある。背の高い一本のトウヒの木のてっぺんの大枝が折れる様が遠くから見えた。

2012年2月19日(日曜日)、吹雪が2日間続いた後の晴れたおだやかな正午近くだった。私たちはトンネルクリークと呼ばれるエリアに足を踏み入れていた。この南向きの漏斗状の沢が連なるスロープは、900m下った先でワシントン州のハイウェイ2号線に合流する。48時間の降雪量は66cmにもなった。ノースウェスト・ウェザー・アンド・アバランチ・センターのレポートによると、私たちが引き起した雪崩は深さ81cm、幅60mのスラブ・アバランチで、曲がりくねった疎林のシュートの中を標高差800m流れた。私より先に滑り降りた7人の内4人が巻き込まれ、3人が亡くなった。破断面よりも上部にいた私たち5人は雪崩の規模も被害の大きさも想像できず、雪崩が起きた瞬間ただ立ちすくむだけだった。

雪崩発生の20分前、私たちはパウダーを求めてスティーブンスパス・スキー場のバックカントリーゲートを通過した。少なくとも12人からなるパーティはローカルとビジターの混成チームで初対面同士の者もいた。エリア外に出るスキーヤーの誰もがそうであるように、私たちもリスクを引き受けたうえでゲートを抜けた。

90年代多くのリゾートは、バックカントリーへのアクセスを禁じていた。しかし2000年前後からジャクソンホール・マウンテンリゾート、テリュライド、ヴェイルなどのスキー場はアドベンチャーを求めるスキーヤーからの度重なる要望に応じる形で、ゲートを設けてバックカントリーエリアへのアクセスを開放した。2011年アメリカのスキー人口1千2万人の内、バックカントリースキーを経験したことのあるスキーヤーは4.2%になる。バックカントリースキーヤーの人口増加はリスクの増加をもたらすことになった。アメリカ国内での雪崩による死亡者数の年間平均は1990年代の15人から現在は29人へと上昇し、2011年はスノーモービラーを含め34人が犠牲となった。太平洋沿岸地域に見られた不安定な積雪層が大きな要因だった。2007年には37人が亡くなっている。

雪崩が発生した直後、茫然自失の私のそばにいた他のメンバーは、婚約者のダン・アブラムス(34才、スキーアパレルメーカーFlylow創業者)、ジョン・スティファー(29才、Powder Magazine編集者)、ケース・カールセン(38才、スキーフォトグラファー)、ジョエル・ハモンド(38才、サロモンの北米セール部門の責任者)の4人だった。ジムより先に降りた6人は、クリス・ランドルフ(30才、スティーブンスパスのマーケティング部長)、エリーズ・サウグスタッド(33才、プロスキーヤー)、ジョニー・ブレナン(41才、地元の建設業者で2児の父)、ロブ・カスティーロ(41才、シアトルからのビジター)、ウェンゼル・ペイカート(29才、スティーブンスパスのスキーインストラクター)、ティム・ワンゲン(54才、造園業者でスティーブンスパスのベテランローカル)だった。他にもスノーボーダー2人とスキーヤー1人がいたが、別方向の尾根に滑り降り、離ればなれになっていた。

グループ全員がエキスパートのスキーヤーで、雪崩の講習を受けており、必要なセルフレスキューの道具を身につけていた。メンバーの多くの者が似たようなコンディションのトンネルクリークを数えきれないほど滑っていた。太平洋沿岸北西部の雪質は密度が高く水分を多く含み、太平洋沿岸のどの地域よりも安定した傾向にある。実際、私たちが滑った前日にトンネルクリークに行った者の話では、積雪はとても安定していたという。当日は臨機応変に行動し、滑走は一人づつ、木立に沿ったライン、待機場所は古いトウヒの木で囲まれたエリアといった行動原則を守っていた。

ジャックは、スティーブンスパスのレジェンドといってもよい人物である。近くのミッションリッジのベテランパトローラーで、Freeski World Tour(訳者注:現Freeride World Tour)のヘッドジャッジでもある。選手時代は正確なターンコントロールと強靭な滑りで知られ、劣悪なコンディションの大会で勝ったこともある。そのジャックが私たちの10m下で視界から消えてしまった。自らがトリガーとなった雪崩によって。

ハモンドは破断したところまで急いで滑り降りると、雪面に突き刺さった一本のスキー板を見つけた。持ち主のジャックの姿はどこにも見えない。「ビーコンをサーチモードにしてくれ」ハモンドが叫んだ。全員がビーコンを取り出し、エッジをきかせながら雪崩の走路を一人づつ滑り降りる。全く手がかりがないまま、ジャックのビーコンが発するデジタル信号を懸命に拾った。

「全然反応がない」ビーコンを片手にハモンドが言う。

「僕もだ」カールセンが震える声で返した。「みんなはこのまま下ってくれ。僕はこの辺りを探索してから林の方へ行ってみる」

ダンはランドルフの携帯電話を呼び出した。難を逃れて電話に出てくれることを願ったが、コール音が鳴るばかりだった。カスティーロ、サウグスタッド、ブレナン、ペイカート、ワンゲルからも何ひとつ応答がなかった。

12時03分、私は911(訳注:日本の110番、119番に当たる緊急通報用電話番号)に電話をかけた。初動の救助隊を州警察のネットワーク、つまり今回の場合スティーブンスパスのスキーパトロール隊に要請した。「雪崩が発生しました」自分が発したこの言葉によって、恐ろしい現実感が一気に襲ってきた。

私はスティファーとダンと一緒に、走路となった狭い沢の中を素早く降りながら、標高差762mを約10分かけて捜索した。カールセンとハモンドは林の中を探索しつつ、上部から二次雪崩の警戒にあたった。斜面の柔らかな雪は狭い漏斗状の地形を一掃して氷まじりになり、木々の枝を折り幹を砕いていた。

数分が過ぎたが、ビーコンは何の反応を示さなかった。雪崩の規模の大きさを実感し始め、「全員ボトムまで流されたんだわ。本流に巻き込まれたのよ。今すぐボトムまで降りましょう」とダンとスティファーに大声で伝えた。

2

ジョニー・ブレナンはトンネルクリーク行きのEメールを友人のロブ・カスティーロから受け取ったとき、スティーブンスパスのRV専用駐車場に停めたキャンピングカーの中で妻のローリーと愛娘2人と昼食をとっていたところだった。

ブレナンはスティーブンスの元パトローラーで、娘たちはスティーブンスのスキーチームに所属している。週末を家族そろってスキー場で過ごせるから、とローリーを説き伏せ、念願のキャンピングカーを購入したばかりだった。

「トンネルクリークに行ってくる」とブレナンは私たちのグループに合流することを妻に告げた。

ビーコンを装着するブレナンに向かって、7才になる娘のニーナが尋ねた。「それは何に使うものなの、パパ?」ブレナンは説明してあげた。「雪の中に埋まった人を探したり、自分が埋まったときは見つけてもらうためのものだよ」それから長女のジェシー(10才)に言葉をかけた。「ここに2時集合だ。パパとパウダーを滑りに行こう」

出入り扉に向かうブレナンにローリーは聞いた。「安全なの?」

「危ないなら行かないさ」そう切り返したブレナンはジャックや他のメンバー同様、数えきれないくらい何度もトンネルクリークを滑っていた。

私たちがトンネルクリーク行きのプランにのったのは、前夜クリス・ランドルフとバーでビールを飲んでいるときだった。ランドルフとは、私とダンがシアトルに引っ越した一昨年から付き合いが始まり、すぐに仲の良い友人となった。カリスマ的な人気があり、話題づくり長けたマーケティングをする人物として業界内で知られている(撮影用にネオン管を飾り付けた派手なトラックをつくったこともある)。自己PR用のビデオを人事担当者に送りつけてこの仕事に就き、大学卒業以来ずっとスティーブンスで働いていた。

ランドルフはもっと待遇の良い仕事のオファーを何年も前から受けていたが、全て断っていた。「ここを終の住み処に決めたんだ。とても気に入っているからよその町には行けないよ」そう話してくれたことがある。すでにリーブンワース(スティーブンスのスキータウン)のすぐ近くで生活の基盤を固めていた。一軒家を購入し、ガールフレンドのアン・ヘスバーグに近々プロポーズする予定だった。

日曜日の雪崩予報は注意を呼びかけていたが、ランドルフや他のローカルは積雪の状態を考慮して、安全と思われるルートを選んだ。雑誌の取材でスティーブンスに滞在していたスティファーは当日の朝、雪崩予報をチェックすると雪崩リスクが気になり2度考えこんだ。だが最後はローカルの判断に従うことにした。

午前11時7分、ダンは会議を終えたばかりのランドルフからメールを受け取った。「10分後、屋外暖炉の前で」

ベースロッジの屋外暖炉の脇にメンバーが続々と集まり始めた。トンネルクリーク行きの話は私が知らないところで広がり、多くの人が加わっていた。こうしてスキー業界の人間とベテランローカルの混成チームが出来上がった。

私は今朝一緒に滑ったばかりの友人のエリーズ・サウグスタッド(レイクタホ出身)の隣に立っていた。女性陣は私たち2人だけだった。暖炉に陣取った者のほとんどは初めて見る顔だった。その中にはジャックのFWTの仕事仲間でコロラド州から移住したロン・パンキーやシアトルから来たスノーボーダー、ティム・カールソンがいた。シアトル在住のカスティーロとペイカート、ローカルのワンゲンやブレナンとも初対面だった。

なんとなく皆そわそわした様子だったので、私はその場で自己紹介できずにいた。それに、屈強な男たちの集団の中では浮いた存在だった。グループの人数が膨れ上がったことに不安を覚えたが、口に出せなかった。

11時30分頃、スティーブンスのセブンスヘブンリフトを降り、バックカントリーゲートを通過した。これより先のエリアは発破による雪崩コントロールは行われておらず、仮にトラブルが起きても場所によってはスキーパトロールが救助に行けないことを意味する。スキーを肩にかつぎ、標高1780mのカウボーイマウンテンの山頂へと10分間のハイクを始めた。

山頂でカスティーロは付き合いの長いブレナンの方を見て、「俺とお前でパートナーを組もうぜ」と言った。それからジャックとランドルフが滑走ルートを説明してくれた。直下のファーストピッチを滑ったら林の中を左へトラバースして、次の斜面に向かうプランだった。残りの者もそれぞれパートナーを組んだ。こうして4つの小さなグループに自然と分かれると、一人づつディープパウダーへと飛び込んだ。

3

最初のピッチを滑り終えると、ランドルフはいつもと同じ場所で待機した。そこはオープン斜面のスキーヤーズレフト側で、古いトウヒの木に囲まれた場所の隅っこにあたる。トラバースを始める前にグループのメンバーが再集合する場所としては、比較的安全なエリアだった。

後日、サウグスタッドとカスティーロは彼らの身に起きた出来事を語ってくれた。サウグスタッドがファーストピッチを滑っているとき、カスティーロとブレナンは滑る順番を待っていた。二人はお互いの顔を見つめ、ニヤリと笑った。「先に滑ってもいいぜ。ちゃんと見ててやるからよ」とブレナンが言った。

カスティーロはパウダーの浮遊感を味わいながら滑り降りると、ランドルフとサウグスタッドの近くで止まった。すぐにブレナンが下りてきて、4人とも雪質の良さに歓声を上げた。

「次は左へ移動だよね?」と、カスティーロがたずねた。予定通り、リスキーな下部の狭いガリーでなく木々のはえている尾根筋を下るのか確認したのだ。

「ああ、左だ」ランドルフは答えた。

カスティーロはグローブをいじろうと視線を下に落とした。その時、私たちのグループには聞こえなかった音を聞いた。獣の咆哮のような低い音を。カスティーロの視界の隅がとらえたのは高さ7mの雪の壁だった。

「アバランチ」ランドルフが叫んだ。

カスティーロはとっさに2本の小さな木にしがみつき、頭を押し込んでうつ伏せになった。ヘルメットカメラが捉えた映像には、雪煙とともに木の枝や松の針が混じった雪崩の奔流が21秒に渡って記録されていた。カスティーロは必死に木をつかみ、生にしがみついた。

雪崩の勢いがおさまると、カスティーロは頭を上げ、辺りを見回した。林の中には他に誰もいなかった。

「ジョニー!ジョニー!」あらん限りの声で親友の名を叫んだ。

一方サウグスタッドは雪崩から逃れようとしたが、あっけなく飲み込まれてしまった。ABS製の雪崩エアバッグのトリガーを引いた(雪崩エアバッグとは巨大なバルーンを展開することで、スキーヤーを雪面付近に浮上させ、レスキュー隊の目につきやすくするとともに頭部や頸部の外傷を防ぐ装置)。雪の塊に覆われると、何度も転げまわり、両腕と両足の自由を失った。視界はただ真っ白だった。

「このまま死ぬんだわ」そう彼女は思った。夫のコディ・タウンゼント(プロスキーヤー)の顔を思い浮かべ、「私がいなくてもあなたは大丈夫よね」と心のなかでつぶやいた。

雪崩が止まった。体は埋まっていたが、空が見える。頭と両腕だけが雪の中でなんとか動く。息はできたが体は動かせなかった。

助けを呼ぶ声がすぐに出てこない。雪崩に流されたが、生きている。「他のみんなも流されてしまったんだわ」そんな考えが真っ先に浮かんだ。

谷底ではデブリが扇型に広がり、固まった雪の小山が何百メートルにわたって積み重なっていた。ペイカート(スティーブンスのスキーインストラクター)が最初に到着した。雪崩が発生してから10分も経っていなかった。彼とワンゲンはランドルフのグループのスキーヤーズレフト側で待機していて、雪崩の走路から外れていた。二人は私たちのグループよりも先にガリーを下っていた。

ペイカートはデブリが広がっている場所で、雪面に突き出た2つのピンクのミトンを目にした。通りすぎてからようやくそれがサウグスタッドのものだと気がついた。バックパックからシャベルを掴んで取り出すと、2、3分で胴体と両足の大部分を掘り出した。

それから数分後、私がサウグスタッドの元に着いたときには、彼女のビーコンもサーチモードに切り替わっていた。雪崩が巻き上げた雪が霧のように周囲に立ち込めている。突然、私のビーコンが信号をキャッチした。やかましくビープ音が鳴る。埋没者までの距離を示す赤色LEDの数字を点滅させて。

ビーコンサーチの範囲を狭めていった。グループのメンバーが背後のガリーの向こうからやってきた。指示を大声で言う以外、一切言葉をかわすことはなかった。スティファーが2つ目の信号をとらえた。「プローブとシャベルを用意して」到着したばかりのメンバーに私は叫んだ。

スティファーと私のビーコンが示した最短距離は2.1メートル。つまり2.1メートル以上の深さに仲間の誰かが埋まっている。2つの信号を切り離すと、ダン、スティファー、カスティーロ、ペイカート、ワンゲンがプロービングを始めた。それから全力で硬い雪を掘り起こした。

10分でブレナンとランドルフの体がデブリの上部から見つかった。サウグスタッドが埋まった場所から10mも離れていなかった。二人とも息をしておらず、脈もない。5分から10分かけて全身を掘り出し、心肺蘇生法を交替で繰り返した。スティーブンスのパトローラー数名が雪崩救助犬を連れて到着したのは、午後1時頃、蘇生を始めてからおよそ45分が経過していた。

他のメンバーがシャベルで掘っている間、私とサウグスタッドはデブリの山の上で、ビーコンサーチを続けていた。エアが抜けたエアバッグは破裂した肺のようにバックパックから垂れ下がり、サウグスタッドはゾンビのような格好で歩いている。他に誰が埋まっているのか分からない状況の中、とにかく次の信号をキャッチしたかった。すると、約30m下方のデブリの上に2つの人影が現れた。

パンキーとカールソンだった。カールソンは上部でパンキーと合流し、私たちのグループとは別のルートで滑り降りていた。大所帯になったグループに不安を覚え、予定の滑降ルートはあまりにも急で開けていると感じたからだという。後日、カールソンは言いたいことが口に出せなかったことを後悔していると私に語った。「自分の考えを言おうとしたけど、みんなとても慎重に行動しているように見えたんだ」

パンキーとカールソンは尾根沿いに滑り降ると、ハイウェイ近くのボトム周辺でデブリに埋め尽くされた雪原と遭遇した。雪の残骸の中でポールとグローブを見つけると、すぐにビーコンサーチに移った。

「そっちのビーコンに何か反応はある?」私は2人に聞いた。
「あったよ、1つ」パンキーは大声で切り返した。
まっすぐパンキーを見つめ、次の言葉を待った。
「亡くなったよ、ジムが」

最終的に、スティーブンスパスのパトロール隊によって3人の仲間ランドルフ、ジャック、グレナンの死亡が確認された。パトロールはこの場から離れるように言ったが、カールセンとスティファーは残ると言い張った。パトロールの面々は丁重に遺体を扱った。亡くなった3人はパトロール隊の仲間でもあった。

4

雪崩が起きる前から、あらゆる警告のサインがあった。明白すぎるほどの形で。大量の新雪、ガリーへと流れ込む漏斗状の地形、自信に満ちたグループメンタリティ、高い雪崩リスクを伝えていた雪崩予報。私たち全員が雪崩講習などでこれらのリスク要因の存在を理解していた。にもかかわらず、警告に耳を傾けることはしなかった。なぜか?

「グループで行動すると、意思決定に口をはさみづらい」とペイカートは後に語った。「なぜなら、実際に決定権を持つのは一人か二人でしかない。暴動みたいなものさ。誰か一人が石を投げると、みんなが投げ始めるだろ」

雪崩講習会の現場では着実に変化が起きている。10年前の各コースではスノーピットの掘り方や弱層の発見に力を入れていた。今は違う。講師のエル・トーンは次のように自戒を込めて言う。「過去に私たち講師は、結果的に受講生に間違った自信を植え付けていたことが、今でははっきり分かっています。[AIARE 1](一般山岳ユーザー向きの米国の雪崩講習会)修了後のある一定期間内で雪崩に巻き込まれるケースが統計に現れているのです」

研究者たちは親和性、社会的圧力、エキスパートハロー(エキスパートの判断だから安全だという思い込み)など、いわゆるフューマンファクターへの理解が今後ますます重要性になると考えている。講師たちはヒューマンファクターによるリスクの軽減を目指し、航空パイロットが使うようなチェックリストの活用を教えるようになった。

あの日、私たちのグループは、チェックリストを使うことはなかった。勝手知ったる地形や雪だったからだ。事故以来、当日の意思決定のプロセスや集団心理が果たした役割についてずっと考えてきた。グループの外から見れば赤色灯が派手に点滅していたのに、どうして見過ごしてしまったのか。

話を聞いた雪崩のエキスパートたちであるガイドや講師は皆そろって言う。人間の本性の問題だと。

「不確実性の高い状況、つまり安全なのか危険なのか、その判断が難しい状況に置かれた人は、経験に基づいた単純なルールに従って意思決定をする傾向にある」と、多くの経験則を長年研究してきたユタ州在住の雪崩研究者イアン・マキャモンは言う。

マキャモンは積雪コンディションを特別視するよりも、不確実な状況に置かれた時に繰り返し行われる意思決定のプロセスに関心をよせる。例えば、次のような質問に代表されるものである。「みんなはどうするつもりだろう?」「エキスパートたちは何て言ってるんだろう?」「この先の斜面について自分はどれだけ知っているのか?」応答はほぼ無意識下で行われる。誰でも身に覚えがあるだろう。欲望が理性に勝る状況、例えば好天続きでパウダーに飢餓感があるような状況では、適切な判断はずっと難しくなる。寡雪だった11/12シーズンを経験したアメリカ人ならまだ新しい記憶として、同じような経験を覚えているだろう。

雪崩事故の前夜、吹雪は43cmの降雪をもたらした。シーズンベストの一日を予感させるに十分だった。当日の朝、車でスキー場へ向かう道すがら、私はダンに聞いた。「今日のトンネルクリークは安全かしら?」彼は少し考えてから返事をした。「ランドルフなら安全に降りる方法を知ってるさ」私はそうねと頷いた。(それ以降、雪崩リスクが話題に上ることはなかった)だが、屋外暖炉の前でみんなと合流し、グループの規模と自信の大きさを実感したとき、再び不安をおぼえた。物事がどんどん先に進むような感じでだった。でも何も言えなかった。友人たちに任せるしかない自分がいた。

「何か悪い予感が働いたとしても、グループのみんなに背くようなことは言い出しにくいものだ」と、カルフォルニア州スコーバレー在住の精神科医で元プロスキーヤーのロブ・ガフニーは言う。

グループの一員だったサロモンの北米セールス販売部長のハロルドも同意する。「たしかにメンバーの多くがあの斜面に精通していた。でも12人のグループが攻めるようなところじゃない。馬鹿げてる。大所帯だけど、賢く冷静に行動できると思い込んでいた」

実際、私たちは多くの正しい選択をしたし、適切な判断と行動でサウグスタッドを救助した。しかし愚かな判断を一つだけ犯した。以前の経験に頼った判断、これが最大のミスだった。同じ斜面を似たようなリスキーな日に滑っても何事も起きなかった経験の積み重ねが引き起こした判断ミスだった。「どんなに滑り慣れた斜面も初めて滑るときのように判断、行動しなければならない。経験値なんてものは、雪崩にとって知ったことではないからだ」とマッキャモンは言う。

5

事故直後からマスメディアによる報道合戦が始まった。ニュース番組のスタッフが束になって玄関のドアを叩き、電話がひっきりなしに鳴った。事故が起きた日の深夜3時にグッドモーニングアメリカとトゥデイのインタビューを受けるサウグスタッドに私は付き添うことにした。両番組のプロデューサーから雪崩エアバッグによる生々しい生還劇をサウグスタッド自身の口から説明してほしいと頼まれた。グッドモーニングアメリカのプロデューサーからは独占インタビューがとれなかったからだと叱咤され、「朝の時間帯のテレビ番組の競争の激しさはまるで戦場さ。あんたらの想像以上にな」と電話越しに怒鳴られた。

数日後、スティーブンスパスの山麓リーベンリースの町で、ランドルフ、ジャック、ブレナンの葬儀が1週間の内に相次いで執り行われた。3人ともこの町の有名人だった。仲間たちはジャックの家の裏庭で焚き火を囲み、RainierビールやPendletonウイスキーのグラスを交わした。ジャックのガールフレンド、ティファニー・アブラハムは遺品のTシャツを一人一人に配った。町でジャックの思い出とばったり会えることを期待して。

新聞記事は危険に満ちたスポーツに興じるクレイジーなアドレナリンジャンキーのように私たちのグループを扱った。New York Timesの見出しは特に厳しいものだった。「スリルを求めるスキーヤーによる雪崩事故が急増」

何ヶ月もの間、私は毎晩ベッドに入るのが怖かった。眠りにつくと、悪夢に襲われた。墓の中で生き埋めになった仲間が窒息の苦しみにもがきながら、土中からはい出てくるイメージが何度も現れた。恐怖で目が覚め、そのまま朝を迎える日が続いた。

あの日スキー場へ向かう救急車の中での出来事をよく思い出す。隣には一人の男性が座っていた。気休めとなるような言葉をかけて何か役に立ちたかったが、どんな言葉も見つからなかった。結局、その日の朝に言いそびれたことを口に出してみた。

「こんにちは、私メーガンよ」
「ロブだ」

6

事故から一ヶ月後の3月にダンと私は入籍した。トラウマを克服するセラピーへ一緒に通い、あの時何が起きたのか何度も話し合いの中で再現した。朝食を食べながら、真夜中のベッドの中、ハネムーンの最中でも。それでもダンは苦しみの中から抜け出せずにいた。雪崩の直前まで人生を謳歌していた友人ランドルフを蘇生すべく、懸命に心臓マッサージを繰り返した生き地獄のような一時に、囚われ続けていた。

しばらくしてダンはクリスのガールフレンド、アン・ヘスバーグに1通の手紙を書いた。「どうしても伝えておきたいことがある。僕は目一杯の速さでシャベルを動かし続けた。できることは全てやったんだ」

2、3ヶ月、ダンと2人でリーベンワースに足を運び、雪崩によって最愛の人を失った3人の女性アンとティファニー・アブラハム、ローリー・ブレナンの元を訪れた。「まだ実感がないの。クリスと歩むはずだった人生はもうなくなってしまったのよね。新しい人生を始めようと自分に言い聞かせる毎日なの」アンはしばらく口をつぐんでから言った。「ダン、あなたはどうしてるの?」

ダンは、はっとして彼女を見てから口を開いた。「これほど間近で死というもの見たことも、自分の手で触れたことも今までなかった。雪面がひび割れ、大きな塊になっていく光景は恐ろしかった。でも、それよりもずっと恐ろしかったのは、誰かの命のために闘うことだった。事故の細かい部分は他人には話さないことにしている。言葉で説明しても分かってもらえないから。でも、僕が経験した恐怖のイメージなら分かってもらえると思う」

時が経つにつれ、少し安眠できるようになった。それでも悪夢に出てきた映像は今も心のなかで繰り返され、自分が発した問いに明解な答えが出せずにいる。亡くなった3人と残された家族のことを考えて多くの時間を過ごしてきた。クリスのことを考えるとき、アンに贈るはずだった彼の祖母の指輪のことを考える。まだ幼い娘たちに父親が亡くなった事実を伝えるためにキャンピングカーに向かった気丈なローリーのことを考える。「パパとパウダーを滑りに行けないの?」と母親を見上げて言った幼いジョシーのことを考える。

あの日、リスクの高さをみんな知っていたが、誰も実際に事故が起こるとは思ってなかった。命を危険にさらして遊んでいるとは考えていなかった。家族を深い悲しみの中に置き去りにするとも。

ローリーと会って話をするのは、あの日以来、数ヶ月が過ぎていた。彼女は悲しみの淵にいた。太陽の下で椅子に腰を下ろし、ジョニーのことを話し合った。どんな父親で夫だったのか聞いた。「あの人は娘たちを何よりも愛していたわ」そう彼女は答えた。父親であり、夫であるブレナンを奪ったのは、まぎれもない、この私たちだった。

訳者注:登場人物の年齢、役職は2012年の出版当時のままです